ひとりと3匹?の気ままな日常。
日々思う事を綴ります。
<<04 * 05/1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 *
06>>
かまって、かまって~♪
子殺しの事を書いて、頂いたコメント(ありがとうございます)を読んでて、ふと思った。
自分の母のこと。
私の母はかなーりの遅い歳でもって私を産んだのね。
なので子供のころの私は、母といるときに母を知らない人から、
母を「おばあちゃん?」と言われたりしてたの。
子供心にそれって、すごいイヤだったのね。。。
そんな我が家は、ほぼ母子家庭。
私は産まれてすぐから保育園に預けられ、母は工場などで働いていた。
私には、家はあった。ご飯もあった。
けれども記憶の中には、「シツケ」らしい躾を受けた記憶がない。
私の面倒を、休日には遊びに連れていってくれ、歌うことを教えてくれ、
料理を教えてくれ、勉強をみてくれてたのは、近所の子供のないご夫婦だった。
小学校も高学年(いや、もっと前だわな)には親子喧嘩の毎日。
当時から母は私にやり込められてばかりいた。
それはそれは、近所でも有名だったりしたんよー(笑)
だからかな? 母親から愛されたという記憶もほとんどないの。
中学から働き、弁当も自分で作り、奨学金でもって高校までを卒業した私。
「笑い方」を外で覚えたなら、「泣き方」も外で覚えればいいと思ってた私。
世間と比べれば「苦労」をしてたのかもしれない。
でもそれは私にとって普通のこと。
世界をみれば、家があるだけ、食べ物があるだけ恵まれていると思ってた。
けれども、そんな母に対して私は当時から、
「家と餌とだけを与えていれば、子供は勝手に育つものと思ってるんだろうか?」
とも思っていた。
更に小さい頃「チビっこ歌合戦」みたいな番組(歳がバレるね)を見てる時、
そこに着飾って出てくる子供らを「可愛いねぇ」と言ってる親に向かって、
「私は?私は可愛い?どっちがかわいい?」と訊いては、
親に不思議な顔をされた事が度々あったの。
そんな母は、以前も書いたとおりで戦前の生まれ。
思春期に戦争を体験した母は、「昭和」という変化の時代を
一人で生き抜くだけで、どれほど困難だったろう。
電話一つとっても、村に1つの時代から始まって、自宅に電話、それがプッシュホン、
次には携帯、それが次世代に。。。
そんな中で私を育て、そのために働いて。。。
さて、そこでだ。
愛された記憶がない。。。 果たして本当にそうだったのかしら?
周囲と比べてしまえば、確かにそう見えただろう。
母の苦労も、今なら頭でだけでなくわかるしね。
その苦労は母が自分で選択したものだけども、そこに望んだものが何だったか。。。
それをも今は理解ができるように思う自分。歳とったなぁ、私も。。。
で、母は私を愛してなかったワケではない。むしろ逆。
けれども二人の間で、愛情の表現に違いがあっただけ。
今ではそんな風に思うようになった。
私が結婚を考えたときに、私は母に「なんで私を産んだの?」と訊いた。
それに対しての母からの答えは、「産みたかったから」
それに続いて、
「お前を保育園に預けて寂しい思いをさせてしまった事が心残りだ」とも言った。
ボキャブラリーの少ない母ゆえの、ある意味のお詫びだったんだろうなぁ。
母にとっては「謝って済む話ではないから、謝らずにひたすら働いた」、
そういうある意味父性的な愛が、彼女にとっての愛だったんだろうと、
そう解釈するようにしてる私です。
そして、母である前に父であらなければならなかった母の哀しみや苦しみも、
今ではすっかり理解できるようになった私。
最近、とある事に悩み、母に打ち明けた時には
「相手がどうじゃない。あなたが望むなら、私を殺しても達成しなさい」と言った。
私の残りの人生の掛かった大問題を前に、アッサリとこんなん言ってのけた母。
そんな母を尊敬しないワケにいかない。
母はこんなに強い優しい人だったんだ。。。改めてそう思う。
心からのありがとうを贈りたいと思う今日この頃の私です。
私は母の子だからね。。 愛されて育った子は強いのよ!
余計な事までウダウダと考え込んでしまう私は、ちょっと時間が掛かったけどもさ。
大丈夫! 絶対に立ち直るからね!
んで、母ちゃん!
お金貯めて迎えに行くんで、もちっと待ってておくんなまし(照)
ところで私は男性不信な面も持ってるのね。
いろんな理由が重なって出来上がったものだし、直接的反応でない分厄介なんだけども。
今までそのせいだと思ってきたことの現象の一つに、
自分が本気で惚れた人に対してこそ、「私のこと、好き?」と執拗に訊いてしまうのよ。
でもこれってどぅも、男性不信じゃなくて上に書いたことが発端みたいよね?
と、そんな事に今更気づいてみた私。
好きな人にほどシツコク訊いてしまうので、訊かれるほうはウンザリしてしまうんだろうな。
愛情表現が不器用な人にほど惚れてしまうのも、やはり母の影響なのかしら?
自分ではブラコンだろうとは思ってたけど、ひょっとして私、マザコンなの?!
それって・・・。
自分の母のこと。
私の母はかなーりの遅い歳でもって私を産んだのね。
なので子供のころの私は、母といるときに母を知らない人から、
母を「おばあちゃん?」と言われたりしてたの。
子供心にそれって、すごいイヤだったのね。。。
そんな我が家は、ほぼ母子家庭。
私は産まれてすぐから保育園に預けられ、母は工場などで働いていた。
私には、家はあった。ご飯もあった。
けれども記憶の中には、「シツケ」らしい躾を受けた記憶がない。
私の面倒を、休日には遊びに連れていってくれ、歌うことを教えてくれ、
料理を教えてくれ、勉強をみてくれてたのは、近所の子供のないご夫婦だった。
小学校も高学年(いや、もっと前だわな)には親子喧嘩の毎日。
当時から母は私にやり込められてばかりいた。
それはそれは、近所でも有名だったりしたんよー(笑)
だからかな? 母親から愛されたという記憶もほとんどないの。
中学から働き、弁当も自分で作り、奨学金でもって高校までを卒業した私。
「笑い方」を外で覚えたなら、「泣き方」も外で覚えればいいと思ってた私。
世間と比べれば「苦労」をしてたのかもしれない。
でもそれは私にとって普通のこと。
世界をみれば、家があるだけ、食べ物があるだけ恵まれていると思ってた。
けれども、そんな母に対して私は当時から、
「家と餌とだけを与えていれば、子供は勝手に育つものと思ってるんだろうか?」
とも思っていた。
更に小さい頃「チビっこ歌合戦」みたいな番組(歳がバレるね)を見てる時、
そこに着飾って出てくる子供らを「可愛いねぇ」と言ってる親に向かって、
「私は?私は可愛い?どっちがかわいい?」と訊いては、
親に不思議な顔をされた事が度々あったの。
そんな母は、以前も書いたとおりで戦前の生まれ。
思春期に戦争を体験した母は、「昭和」という変化の時代を
一人で生き抜くだけで、どれほど困難だったろう。
電話一つとっても、村に1つの時代から始まって、自宅に電話、それがプッシュホン、
次には携帯、それが次世代に。。。
そんな中で私を育て、そのために働いて。。。
さて、そこでだ。
愛された記憶がない。。。 果たして本当にそうだったのかしら?
周囲と比べてしまえば、確かにそう見えただろう。
母の苦労も、今なら頭でだけでなくわかるしね。
その苦労は母が自分で選択したものだけども、そこに望んだものが何だったか。。。
それをも今は理解ができるように思う自分。歳とったなぁ、私も。。。
で、母は私を愛してなかったワケではない。むしろ逆。
けれども二人の間で、愛情の表現に違いがあっただけ。
今ではそんな風に思うようになった。
私が結婚を考えたときに、私は母に「なんで私を産んだの?」と訊いた。
それに対しての母からの答えは、「産みたかったから」
それに続いて、
「お前を保育園に預けて寂しい思いをさせてしまった事が心残りだ」とも言った。
ボキャブラリーの少ない母ゆえの、ある意味のお詫びだったんだろうなぁ。
母にとっては「謝って済む話ではないから、謝らずにひたすら働いた」、
そういうある意味父性的な愛が、彼女にとっての愛だったんだろうと、
そう解釈するようにしてる私です。
そして、母である前に父であらなければならなかった母の哀しみや苦しみも、
今ではすっかり理解できるようになった私。
最近、とある事に悩み、母に打ち明けた時には
「相手がどうじゃない。あなたが望むなら、私を殺しても達成しなさい」と言った。
私の残りの人生の掛かった大問題を前に、アッサリとこんなん言ってのけた母。
そんな母を尊敬しないワケにいかない。
母はこんなに強い優しい人だったんだ。。。改めてそう思う。
心からのありがとうを贈りたいと思う今日この頃の私です。
私は母の子だからね。。 愛されて育った子は強いのよ!
余計な事までウダウダと考え込んでしまう私は、ちょっと時間が掛かったけどもさ。
大丈夫! 絶対に立ち直るからね!
んで、母ちゃん!
お金貯めて迎えに行くんで、もちっと待ってておくんなまし(照)
ところで私は男性不信な面も持ってるのね。
いろんな理由が重なって出来上がったものだし、直接的反応でない分厄介なんだけども。
今までそのせいだと思ってきたことの現象の一つに、
自分が本気で惚れた人に対してこそ、「私のこと、好き?」と執拗に訊いてしまうのよ。
でもこれってどぅも、男性不信じゃなくて上に書いたことが発端みたいよね?
と、そんな事に今更気づいてみた私。
好きな人にほどシツコク訊いてしまうので、訊かれるほうはウンザリしてしまうんだろうな。
愛情表現が不器用な人にほど惚れてしまうのも、やはり母の影響なのかしら?
自分ではブラコンだろうとは思ってたけど、ひょっとして私、マザコンなの?!
それって・・・。
PR
Comment
この記事にコメントする
Trackback
この記事にトラックバックする: |
おハナシ、しましょ~♪
(01/13)
(06/11)
(06/11)
(06/09)
(05/24)
(05/24)
(04/12)
(04/11)
(04/05)
(02/17)
(02/06)
(02/04)
(01/31)
(01/29)
(01/29)
(01/29)
(01/28)
(01/28)
(01/28)
◇砂糖水HP
◇彦龍の憲彦さん
◇けんてーごっこ
=======
◆ハナコアラ「ウェブの家」
◆WACHIFIELD
◆Bonboya-zyu Gallery
◆YOTUBASUTAZIO
◆あずまきよひこ.com
◆リトル・チャロ
◇彦龍の憲彦さん
◇けんてーごっこ
=======
◆ハナコアラ「ウェブの家」
◆WACHIFIELD
◆Bonboya-zyu Gallery
◆YOTUBASUTAZIO
◆あずまきよひこ.com
◆リトル・チャロ
***最近の好み***
ものいい ちがうか~っ♪
ヒッキー北風
モンスターエンジン
どきどきキャンプ
ザ・パンチ
みょ~ちゃん
髭男爵
芋洗坂係長
ハイキングウォーキング
オードリー
狩野英孝
えんにち
超新塾
禅
スリムクラブ
エド・はるみ
クールポコ
にしおかすみこ
柳原可奈子
小島よしお
他にもいるのに名前と顔が一致しにゃ~
***ぶろぐぅ***
☆すっぴんブログ
(にしおかすみこ)
☆WE!マイページ@にしおか
☆やっちまったなーブログ
(クールポコ)
☆サンミュージック@小島よしお
☆でもそんなの関係ねぇ
(小島よしおファンサイト)
☆泳ぐジッポとルードボーイ
(柳原可奈子)
☆電波少年的懸賞生活
ものいい ちがうか~っ♪
ヒッキー北風
モンスターエンジン
どきどきキャンプ
ザ・パンチ
みょ~ちゃん
髭男爵
芋洗坂係長
ハイキングウォーキング
オードリー
狩野英孝
えんにち
超新塾
禅
スリムクラブ
エド・はるみ
クールポコ
にしおかすみこ
柳原可奈子
小島よしお
他にもいるのに名前と顔が一致しにゃ~
***ぶろぐぅ***
☆すっぴんブログ
(にしおかすみこ)
☆WE!マイページ@にしおか
☆やっちまったなーブログ
(クールポコ)
☆サンミュージック@小島よしお
☆でもそんなの関係ねぇ
(小島よしおファンサイト)
☆泳ぐジッポとルードボーイ
(柳原可奈子)
☆電波少年的懸賞生活